Jan 9, 2018

室長根本より新年のご挨拶

謹んで新年のお慶びを申し上げます

 昨年は格別の御厚情を賜り、厚く御礼申し上げます

 山形市医師会在宅医療・介護連携室ポピーは、住民の皆さまが最後まで住みなれた地域で過ごす事ができるよう、医療と介護の連携推進事業を行っております

本年も変わらぬご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。   

室長 根本 元(医師会副会長)

 

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職員一同

山形市医師会在宅医療・介護連携室ポピー


<山形市医師会たより第583号~平成29年12月20日 巻頭言(根本医師)「看取りについて」~下記全文転載>

  開業して来年で20年になります。これまでたくさんの方々の死の場面に立ち会わせていただきました。元々が外科医ですから術死から末期癌死、開業してからは在宅での看取り、施設での看取り、警察医としての死体検案等、どのくらいの数になるかは判りませんが、かなりの数になることは確かです。

 外科医として働いている頃は、目の前の病気を治すことに全力を注いできました。その当時は手術、術後管理と寝る間もないような状況で、家族をかまうこともない生活でした。ですから開業してから診療所と自宅が一緒になり、常に親父が家に居る事が妻も子供も違和感を感じていたようです。

 開業して在宅医療をやるようになりましたが、なぜ在宅医療をするようになったのかと聞かれることがあります。外科医として最善の手術をしてもどうしても治せない方も当然います。そういう方を受け入れる幕引きの外科医もいてもいいじゃないかと考えた訳です。今は日常診療におけるかかりつけ医の延長として在宅医療を捉えています。在宅、施設とたくさんの方をお見送りしましたが、自然な形での死ばかりではなく、癌末期の疼痛に苦しみながら無念の死を遂げた方もいます。どうしても自宅に戻りたいと希望されて帰宅しましたが、帰宅してすぐ亡くなった方もいました。

 診療は生きている方を見ておりますが、その先には必ず死があります。かつて日本には「看取りの文化」があり、死に往く人を家族や社会が看取るというものでした。今や亡くなる人の8割が病院という状況ですが、その人たちの中には最後は自宅に戻りたいと願う方も少なくありません。しかしながら在宅医療に繋げる方法がわからないとか、受け入れる医療体制がまだ十分でないといった問題があります。

 在宅医療に関して講義や講演を頼まれることがあります。その中で私の看取りに関しての考えや感銘を受けて講演したものを提示しますので感じていただければ幸いです。

“人生の終盤”をどう過ごすか

 残された人生を 

  ・ どこに住まい
  ・ どのように暮らし
  ・ どのように死を迎えるのか

介護や医療がどう支えるのか

 “自分らしさ”という生を貫くことへの支援

安らかな生の終焉を支える

◯命を受けとめる地域へ !

   死は特別なことではありません。

    人間にとっての自然な経過です。

◯赤ん坊の誕生と、老人の死というものは最も命の重みを感じるときです。どちらもいつからか病院で行われるようになって、生活の場から消えてしまいました。それを生活の場に取り戻し、命を繋ぐ場面を共有することで、人の結びつきがさらに強くなるだろうと思います。今、高齢社会のために何かをするということは、結局、自分たちのために何かをするということ。自分の問題であり、自分の親の問題でもある。だからこそ、ちゃんとやりましょうよ、真剣に考えましょうよ、と言いたいですね。

引用:太田秀樹氏(医療法人アスムス理事長)インタビュー

「在宅医療」の推進を通して、新たな「コミュニティ」づくりを目指す

 

看取りの考え方

 高齢社会が進んでいる中、高齢者及び家族の間では終末期ケアへの関心が高まっています。病院において死を迎える近来のパターンから、自宅や施設での看取りへと意向が多様化し、施設においても終末期ケアの確立が求められるようになってきました。

 医療現場でも、これまでの専門分化した「治す医療」から、生から死までを地域全体でみる「支える医療」への転換が叫ばれるようになっています。

 終末期ケアも日々のケアの延長線上にあるという考え方がありますが、現実問題としては、従来からの重症者の介護度が増し、医療の必要度も増してきているほか、新規利用者についても認知症があり、重介護度の高齢者が増えています。

 一方で、利用者及びその家族の要望として、病院での延命治療を求めないケースも増えてきており、施設を「終の棲家」としてとらえ、施設内における終末期ケアを切望する声が多くなっているのも確かです。

 このため、看取りについて、日ごろから施設内で検討・準備することが必要です。

「平穏死」という選択 石飛幸三

 生まれて、生きて、そして死ぬ、それが自然の摂理、その自然の一部として自分にもいずれ来る最期、その最期までをどう生き抜くか、それが勝負だったのです。生き甲斐もそこにあったのです。

 ホームで働いている介護士の姿を見た時、私は心からホームの医師になってよかったと思いました。このような献身的な努力をする人たちによって今この高齢化社会が支えられているのだと思いました。

  そのような人たちですから、自分たちの使命がわからなくなって責められてばかりいる時は辞める人が多かったのですが、自分たちの使命がわかってからは、みんな生き生きとしてきました。辞めなくなりました。ホームがすっかり明るくなりました。多くの高齢者が死ぬために病院へ行かなくなりました。

 先日、ある介護士が言いました。入所者を看取った時、自分の口から自然に「ありがとうございました」という言葉が出るのだそうです。長い人生の果てに穏やかに息を引き取る姿を見た時、これまでの年余に及ぶ介護、見守りの努力にその姿で応えてくださり、そして介護士にご褒美として、生き方、使命を教えてくださるので、思わず感謝の気持ちが湧いてくるのだそうです。

 その気持ちは私にもわかるような気がします。

 死は怖いものだという思い込みにとらわれてはいけません。老衰の終末期、自然な最期は、一生懸命生きてきた者にとっては神様が与えてくれる永遠の休息ともいえます。その最期の姿は、寄り添って介護した者に敬虔な祈りの気持ちをもたらします。

 人生の終着点である死は、怖いものではない。それは本来、静かで平穏なものなのです。

 

“生活と医療”を多職種が支える

在宅医療が提供されるだけでは 癌や障害を持つ患者は毎日の生活に支障をきたす

生活上の障害に日々の病状変化が重なる

生活と医療を切り離して考えることはできない

訪問看護師が在宅ケアの根幹を支える

ケアマネージャーやヘルパーの活躍も重要である

 

在宅医療の促進

 医療システムは、CURE(治療医学、病院医学)からCARE(予防医学、在宅医療)への転換の時期に来ている。

 在宅医療の促進には、病院・診療所・薬局・訪看護・介護等の多職種との協働連携が重要である。

 総合的な地域ケアの実践は、「看取りの医療」や「死の教育」の構築につながる

 

CureからCareさらにShareへ 柳田邦男

CURE から CARE への医療システムにおける思想的転換が重要な事は言を俟たないところではありますが、ターミナルケアを通して更なる地平を経験し目標を掲げる段階へと突入しつつあるのではないでしょうか。 それが SHARE なのだと思います。

CURE も CARE も、まだともに、してやっているという上から目線があると思うのです。これに対しての SHARE というのは、喜びも悲しみも痛みも障害も死も共に感じ共に経験するという「共感」=「分かち合う」なのです。よりご本人に近づいている立ち位置です。死や障害の受容の支援もよりスムーズとなるでしょう。ご本人へのメッセージもより深く伝わるでしょう。更には、我々医療人0福祉人も、自分や身内の死や障害も見据える事を経験し、ご本人のドラマが見事に完結した暁には、我々自身も豊かな満足感のお裾分けにあずかれるというおまけがついてくるのです。我々自身も成長してゆけるという相互関係から止揚関係へと発展してゆけると思うのです。    ※折居和夫先生のスライドから

                       

                               

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